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未来へ続く道!昭和通り開通式!開通80周年です!

Category : ◆ 今昔物語「昭和通り・登り道・界隈」
連盟 昭和通り開通式(昭和6年)

アイコン昭和6年 昭和通り開通式の写真です!  未来に向かって続く道の誕生です!

   開通式パレードでしょうか?スゴイ!人の道です!
   先頭の人は、太鼓のようなものをもってますよ~。
   旗を持ってる人もいますね~。
   これってどのあたりなんだろ~?
   まわりは田んぼばっかり、

アイコン昭和通りの歴史はここから始まったんだー!
   
   来年2011年で、昭和通り開通80周年となります!
   昭和通り商店街では80周年記念イベントを考えております。お楽しみにー!


アイコン昭和通りの歴史

   別子銅山に翳りがみえはじめた状況のもとで、昭和2年~6年まで別子鉱業所常務
   取締役として在任した鷲尾勘解治は、新居浜の臨海部に新たな工業都市を形成し、
   銅山依存体質からの脱却を図るために4つの計画を打ち出しました。
   その一つが、「住友の費用負担による昭和通りの建設と都市計画」である。
    
    昭和通りの建設には、住友従業員組織「改善会」の「作務」と休日勤労奉仕も
   含まれていた。こうして、幅員10m、全長2.2kmに及ぶ基幹道路(昭和通り)が
   昭和6年に完成した。
    
    その頃の新居浜の一番の繁華街は本町通り(昭和通りの北側)であった。
   昭和30年代前半頃、夜市などがあった時は本町通りは人も通れないぐらい
   混雑してそれは賑やかであったが、その後徐々に昭和通りに商店が移り始め
   昭和通りがメインストリートになっていった。
    
    昭和31年に銀ビル(昭和通り4番街)が完成、昭和34年には新居浜全体で
   23の映画館(人口密度で言えば全国一)があり市民の娯楽を満足させていました。
   昭和25年に開店した「別子大丸」と昭和30年代後半には新居浜で初めてエレベーター
   が備えられた「マルシン高島屋」(現ニューグランドホテル)が現れ、二つの
   デパートと共に昭和通りは新居浜の顔として活気に満ちあふれていました。

    昭和30年代の主な交通手段は自転車であり、朝夕の通勤時には昭和通りは
   自転車で溢れかえっていました。
    当時、新居浜が全国で一番自転車の多い街として有名で、何度もニュースで
   取り上げられたほどです。

    このように歴史をひも解いてみると、その時代その時代を生きた先人たちの
   昭和通りに対する熱い思いが感じられます。
    来年、昭和通りは開通80周年を迎えますが、これからも新居浜の顔として
   また、今を生きるわれわれの責任として次の世代にしっかり繋いでいく必要が
   あると思っています。
    
    幸いにも若い世代が育ち始め、これからの新たな昭和通りの在り方を真剣に
   考え、行動してくれています。


     昭和通りは永遠に不滅です!   




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